ラッキーとアンラッキーの親和性について

ラッキーとアンラッキーの親和性について

furiko

人が生まれた時、

「運(ラッキー)」

という一定の幸運の量が与えられていて

それを少しずつ使い減らしながら一生を終えていく・・・
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そんなイメージを私は持っています。

例えば、宝くじなんかで一等に当選した人がいたとして、
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「あの人、運を使い果たしたな」
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と、ついつい考えてしまう。

あげくの果てに
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『その反動で悪いことが起こるんじゃないの?』

とヒヤヒヤしたり・・・
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先日、私の息子が興味深いことを私に教えてくれまして

それがとても新鮮な考えだったことから

こうして文章に起こしてみることにしました。
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[ラッキーについての考察]

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息子の考える「ラッキー」は

『その都度』『新しく』
生まれてくるものであり

生きていく中で
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「おっ?こりゃラッキー!」
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と、思えた瞬間に小さくガッツポーズをするんだそうです
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つまり、訪れた「ラッキー」を大歓迎するのだそうです。
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そして、大歓迎されたことに喜んだ「ラッキー君」が、また新たな仲間(幸運)を呼び込むんじゃないか?

と、いうものでした。

これは素晴らしい考え方だと思いました。

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これまでの私は、もし小さなラッキーがあったとしても
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「あ~、こんなところでラッキーを使ってしまってもったいない」

とか

「こんな小さなラッキーは要らないから、宝くじに当たるようなもっと大きなラッキーをくれよ~」

とか
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そういうことばかり考えていたのです。
せっかく来てくれたラッキーを疎ましい存在として、歓迎していなかったんですね。
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しかし、この方法だと生きていてもちっとも楽しくないんですよ
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一方、息子の考え方はまるで逆で

訪れた小さなラッキーを大歓迎するするわけですから、

これもラッキー、あれもラッキーと探していける。
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人生がまるでラッキーの宝石箱の中にいるようなものです
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そうやって人生が楽しいと思える人の周りには自然と笑顔があふれ、

次第にこれまでになかったような幸運が集まり始める。
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ということのようです。

こうやって解説してしまえば何てことない

ごく当たり前の自然の流れなのかもしれませんが、冒頭に書いたように
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「幸運=使うのもったいない」
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という私のような(セコい)考えに囚われている人間にとっては正に青天の霹靂でした
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[アン・ラッキーについての考察]

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さらに息子は

「人生を歩む中では必ず「アンラッキー」という場面にも出くわすだろう。
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しかし、このアンラッキーもラッキーを掴むための

小さな「振れ幅」だと考えれば、そのアンラッキーすらも歓迎できるようになるよ」
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と続けます。
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つまり、このアンラッキーが来たことは

振り子が(ラッキー側に)勢いよく戻っていくためのエネルギーを貯めているんだ

という風に考えをシフトすることさえできれば、

今ここにある「アンラッキー」もそんなに悪くないと思えるようになるのだそうです。
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アンラッキーすらもラッキーに変えてしまう

なんとも素晴らしいポジティブシンキングだと思いませんか?

いつまでも子供だと思っていた息子が、いつのまにか一端の考えを口にするようになったこと。
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これこそが、私が感じた今日の「小さなラッキー」でした。
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本日も、居酒屋オヤジのグダグダ日記にお付き合いいただきまして
ありがとうございました。
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心の目を開いてみれば、いくらでも拾い集められるよね、小さなラッキー
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